>>303 c アメリカは77年カーターの時代に人権外交の一環としてパナマ運河返還を約束 しかしカーター政権後期にはスリーマイル原発事故やイラン革命によるアメリカ大使館襲撃、ソ連のアフガニスタン侵攻などが重なり控えめなアメリカのままではいられなくなり81年レーガンが「強いアメリカ」をスローガンに大統領就任、ラテンアメリカにおいてもアメリカの影響力を増すためにパナマのノリエガを利用しようとするが彼自身の問題も多く計画は失敗、アメリカはやむをえずノリエガ逮捕の名目のもとパナマ侵攻、またそれは失敗し結果的にはアメリカにはパナマ国家主権の侵害という国際法違反の汚点が残った
合格発表2/9
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